Woman & Genderに関する、「おすすめの図書」を紹介します。是非読んでみてください。

【学生による文献紹介】

筒井淳也『仕事と家族:日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか』(2015 中央公論新社)

                                人文学科 4年

[概要]

本書は、アメリカやスウェーデンなどの外国と日本を比較しながら、日本が抱える少子化や女性の労働参加の問題に焦点を当てている。アメリカを「小さな政府」、スウェーデンを「大きな政府」とし、どちらも女性が子どもを産み、働くという面で良い傾向にある国だと紹介している。しかし、この2つの国の政府の政策についてのデメリットも紹介されている。外国のやり方を鵜呑みにするのではなく、労働力を増やすことの大切さが述べられている。

[感想]

北欧の女性の生活を、理想的でうらやましいと思ったことがある。仕事と家事の両立がしやすいような制度がしっかり整っているというのは、「大きな政府」だからこそできることだと思い、日本もそうであれば良いのにと漠然と考えていた。だからこそ、本書の言う「大きな政府」をそのまま真似すればよいわけではない、という指摘は新鮮だった。例えば、このような北欧の国でも、男性は民間企業で働き、女性は公務員という違いがあるという指摘がある。女性の学歴が高い場合、民間で働けばより高い賃金がもらえるはずだが、公務員であることにより、低く抑えられてしまうというのだ。私にとって日本における公務員は、制度が整っていて、女性が長く働きやすい職業というプラスのイメージだった。従って、北欧の問題への指摘は意外だった。

そして、本書では家事の分担についても述べられている。ただ家事を分担すれば済むのではなく、満足できる家事レベルを合致させる必要があるということも書かれているのだが、この話は特に深く考えさせられるものだった。個人的には、今まで家事の分担について見聞きするたびに、本書で述べられているような解決するべき問題という重いものではなく、「分担は大切だが、片方の家事のスキルに満足できない場合は、無理に理想を追い求めて双方が疲弊するより、できる方がやれば大きなストレスをためずに生活できる」と単純に考えていた。しかしながら本書を読むにつれ、そのような考えを積み重ねてしまうと、家事の負担が女性に行きがちな日本の状況がいつまでも変わらず、それに伴う女性の労働参加の問題も解決できないとも考えられるようになった。

本書では、現代の日本の状況になるまでの経緯が詳しく述べられていて理解しやすい。また、海外との比較を通じて、新たな発見もあるかと思われる。学業の一環として読むのはもちろんのこと、将来について深く考えたい時にも役に立つのではないだろうか。ぜひ皆さんにも読んでいただきたい。

 

【学生による文献紹介】

ソル・ケー・モオ(吉田栄人訳)『女であるだけで』(2020 図書刊行会)

文化人類学・地域研究を学ぶ4年生

本書は、夫殺しを行ったマヤ系ツォツィル先住民・オノリーナが、恩赦を得るにあたっての自身の語りを中心に描いたフェミニズム小説である。訳者のあとがきによると、著者のソル・ケー・モオはメキシコのユカタン州カロットロム町出身のユカタン・マヤ語話者の女性である。彼女の著作は、マヤ語で書かれた『21世紀の現代ラテンアメリカ文学』とされている。主人公のオノリーナは、夫であるフロレンシオを殺した罪により禁固20年を言い渡されていたが、5年の服役の後に恩赦を受けて放免される。オノリーナが彼女の弁護士に語ったのは、彼女の人生の背後にある数々の困難だった。14歳で夫フロレンシオに買われたオノリーナは、フロレンシオからの激しい暴力を受け、流産を何度も経験する。身体的・精神的虐待を彼女に与えながらも、フロレンシオは酒に溺れ、仕事場での殺人や窃盗などを行う。そのような状況下で、ある日オノリーナはフロレンシオをナイフで突き刺してしまう。本書では殺人に至る以前の、オノリーナとフロレンシオそれぞれの人生と、その後の弁護士との語りとが示されている。

本書のタイトル『女であるだけで』という言葉には、オノリーナが「女」であることから引き起こされる人生の困難や理不尽さが表されている。ページを追い、読み進める中で、父親に身売りされ、自分を「購入」した男と生活し、働いて稼ぎを得ながらも夫となった男の持ち分となり、絶えず夫からの暴力を受ける…といった様々な彼女の苦しみに触れ、女に生まれるというだけで、男と均等な機会が与えられないオノリーナの状況に胸が痛むことが多くあった。また、本書を読み、私が感じたのは、「先住民」という括りにおいてもオノリーナが扱われ、社会的に虐げられているという状況だ。法律における平等な人権もなく、自由を得ることが難しい人生を歩んできた彼女の訴えは読者の私にも重く突き刺さる。

本書の中でのオノリーナは、「女」であるだけで、さらには「先住民」であるだけで、社会から虐げられ、経済的に不自由な状況となり、暴力による攻撃を受容せざるをえない立場に置かれるなど、多くの困難を強いられる。このようなオノリーナの姿は、私達女性が未来を明るいものとして見つめるための「正義」とはなにか、を訴えかける存在となり得るのではないだろうか。本書は小説という一つの物語の形でありながらも、文学を通して世界を知り、世の中への変化を求めるために考え続けることの意義を改めて感じさせてくれる一冊である。

 

【学生による文献紹介】

大越愛子・倉橋耕平著『ジェンダーとセクシュアリティ:現代社会に育つまなざし』(2013 昭和堂)

人文学科・3年

本書は、フェミニズムとは女性だけの問題ではない、と述べている。そして、個人の体験、男性性、化粧、慰安婦・性奴隷問題、宗教、子ども、リベラリズムといった様々な切り口から、性別と生きること、政治的なことを捉えなおしている。

私がこの本で印象的だった点は、第6章の「『子どもを産む』とはいかなることか」の部分である。私自身、今現在子どもを産むことに興味はない。しかし、子どもを産もうとする、子どもを育てていく社会には関心がある。そして、今の社会はそれに適していないと考える。私たちが生きるこの日本では、母親主義の風潮がなくならず、なぜか女性だけが女性としてのキャリアを考えている。

私が現在行っている就職活動においても、説明会や座談会で女性のみ「女性の育休制度はどうなっていますか。復帰後の活躍はありますか。」と聞く。これは、学生自身も女性だけが子どもを産む問題を持っているのであり、企業側も女性のための制度は整ってあることしか伝えていない。男性が育休休暇を取ることをそもそも念頭に置いていないのである。反対に、男性がなぜ就職をするのか、企業に勤めるのかの理由として考えていることは、「将来家族を支えていける給与があるか」という声を何度か聞いた。男性は「ひとりで家族を養っていけるかどうか」を気にしているのである。つまり、実際の就職・結婚・出産後の状況がどうかはわからないが、就職する前に見る未来図では、前提として「男は働くもの・女は子どものために家にいるもの」という決めつけがなされている。

そして、7章「リベラリズムとフェミニズム」では「女性の生き方の幅を、現在の社会の『男並み』にすればよい、という主張ではない。家族内で女性が背負わされるケア負担を低減して、女性の政治経済活動の自由度を高めるだけではなく、男性の政治経済の自由度を──家族内でのケア活動の分担により──下げることが課題になる。」と述べている。

女性が、育児を担ってもいかにキャリアを保つのかが大事なのではない。出産・育児によって、ある程度キャリアが失われてしまうのは仕方のないことだと思う。ただ、それを女性のみによって担われるのは全くもっておかしい。子を持つ親であるならば、男性も同じようにその負荷を担う必要があるのだと考える。そして、女性であろうが男性であろうが、育児が行いやすい環境を社会に作ることが理想なのだと思う。

 

【学生による文献紹介】

伊藤公雄・樹村みのり・國信潤子『女性学・男性学〔第3版〕』(2019 有斐閣)

人文学科・2年

本書では、女性学、男性学の意味やジェンダーとしての女性、男性を端緒とする日本の諸問題について述べられている。タイトルにあるように入門書であるため、恋愛、労働、育児とジェンダーという、まさに入門者である私でも聞いたことがあるようなホットな話題が多く、包括的に学ぶことができる。以下では私の印象に残ったことを挙げながら、本書がどのような本であるかについて、述べていきたい。

なぜか印象的だったのは「男性の自立」という言葉である。文脈としては、家事など生活面での、女性からの自立が課題であるということである。家事をする男性も多くいることは承知しているが、やはり「家事をしない男性」(ここでの男性は夫であることが多い)については聞きなれたことであって、特別に印象に残るようなことではないはずである。しかし、男女における「自立」は、「女性の経済的自立」であるという印象が強く、「男性」と「自立」の組み合わせが新鮮に感じられた。

私が「自立は女性の経済的自立」と考えたとき、女性に担わされたジェンダー役割については問題として見ていたのだが、それは無意識に女性が進出していく社会を絶対化して捉えるものであったと感じた。それは、男性が主導してきて、男性性のジェンダーが根付いているはずの社会にも、ジェンダーによる課題があるのではないかという視点がなかったともいえる。

男女の「自立」をめぐって、このようなことに気づかされるとともに、根本にあるジェンダーそのものの価値を問うことで、どちらかではなく「男性の自立」と「女性の自立」という相対的な課題がみえてくることを理解した。また、ここで「ジェンダー問題といえば女性の問題」というイメージや「男性学?」という疑問を払拭できたように感じる。

本書はホットな話題が多岐にわたっていて、ジェンダーについて包括的に学べる入門書であると述べた。確かにその通りではあるが、ここまで印象的なことについて述べてきたところ、どのような入門書であるのかについて、新たな考えが生まれた。本書の話題の豊富さは、単なる個々の事例の寄せ集めではなく、各々の事例の中に「ジェンダーそのものに対する問題提起」という一貫性がある(「ジェンダー論入門」であって、「自分たちの性とそのあり方」(表紙に書かれている言葉)を問い直すことが目的なのだから、当然ではある)。

一貫性があるからこそ、どの具体的な事例に関心を持つかによって、自分のジェンダーそのものに対する偏見や理解の程度を測ることができるだろう。以上のことを踏まえて、私にとっては、これから学んでいくうえでの現時点における力試しと土台づくりの本として、本書はジェンダー論の入門書と呼ぶにふさわしいと感じている。

 

【学生による文献紹介】

ロクサーヌ・ゲイ『バッド・フェミニスト』(2017 亜紀書房)

国際社会学科・1年

「まったくフェミニストでいないよりは、バッド・フェミニストでいたい」と著者であるロクサーヌ・ゲイ氏は語る。

フェミニズムのイデオロギーと相反するようなものに対して、どう向き合っていけばいいのかということについてユーモラスな口調で語るのが、この『バッド・フェミニスト』という本である。

フェミニズムは性差別からの解放と両性の平等とを目指す思想・運動を指し、フェミニストはその思想を掲げ、運動している人々のことを指す。そして、ゲイ氏は自身のことを「バッド(悪い)・フェミニスト」と称する。

かつての自分は、フェミニズムを否定していた。フェミニズムは完璧ではない人間、すなわち自分を許さないものだと思っていたから、そして、フェミニストと呼ばれたとき、そのレッテルが攻撃や侮辱のように感じられたからだとゲイ氏は語っている。だが、後にフェミニズムについて詳しく学び、フェミニズムは未完成のものであり、失敗を重ねてきた部分もあるが、成し遂げてきた成果や功績も確かなものである、ということを正しく理解した上で、フェミニストであることを受け入れた。そして、自分は矛盾だらけの人間だが、女性であることを理由にひどい扱いを受けたくはない、だから完璧なフェミニストではなく、バッド・フェミニストと名乗るのだ……と述べている。

ほぼ全編を通し、様々な映画や音楽、メディアを取り上げた論考が綴られているが、終始一貫しているメッセージは、「完璧なフェミニストである必要はない」ということだ。フェミニズムは完璧ではないが、女性が男性と対等な権利を得るためには必要なものであり、またその成果も確かなものだ。その事実に真摯に向き合おうとする筆者の姿勢がそこから読み取れると思う。ここで、フェミニズムは融通が効かない、頑固なものだ、と思って敬遠してしまっている私達こそ、融通が効かない頑固な人間になってしまっているのではないだろうか、と考えさせられた。軽妙であるが、どこかシニカルで物事の本質をついてくる文章が、フェミニズムあるいはフェミニストについて頑なになってしまった心をほぐしてくれるようだった。

きっと、本書を読み終わった後には、フェミニストを自認している人は気持ちが軽くなるだろうし、フェミニズムに興味がない、あるいは良い感情を抱いていなかった人も、フェミニズムの本質に気づき、印象が変わるのではないだろうか。いずれにせよ、おすすめしたい一冊であることに間違いはない。

 

【学生による文献紹介】

佐藤博樹・石田 浩編『出会いと結婚』(2019 勁草書房)

心理学専攻・4年

本書は家族形成と格差との関連についてデータをもとに統計分析をし、考察した一冊である。結婚以前と結婚以後の二部構成であり、時系列的に意識の変容を見て取ることができる。内容を深く理解するために、可能であれば初歩的な統計学を身に付けたうえで読むことをお勧めしたい。

第一部では結婚意識と配偶者選択、交際、性別役割分業など結婚というライフイベントを迎えるにあたり、どのような「壁」があるかを挙げている。そして本書の特徴でもある「格差」に関しては、例えば性差という点では男女データを比較して有意に差があるかという統計的手法を用いている。そのうち、配偶者選択で興味深い結果がある。男性は配偶者選択条件に容姿・外見・年齢を挙げる一方で、学歴や収入は条件に挙げないようである。一方で女性は配偶者選択条件に経済力を最も重視する。そしてこれらの傾向は年齢により多少変動するが、大きな変化は見られない。この結果から、結婚以前の若年層であっても未だ社会全体として男女が共に働くというイメージが低いことが考えられる。男性が女性の学歴や収入を軽視する点も問題ではあるが、女性にも男性から「養ってもらう」という意識が潜在的にあるのではないだろうか。女性は出産などのライフイベントを迎える場合があり、経済面に不安があるだろうが、その不安を社会がバックアップしていく必要がある。そして男女が平等な社会を目指すためには、男性や女性というジェンダーで比較した際に配偶者条件に有意差が見られないものだろうと私は考え、実現していきたいと思った。

第二部では働き方や家事分担、出生意欲、結婚満足度など結婚後の夫婦関係や結婚というライフイベントをどう捉えるかを挙げている。ここでの興味深い内容は、結婚後の捉え方に男女差があるという結果である。男性は結婚を「ゴール」とするが、女性は「スタート」とするのだという。女性は「結婚して幸せな家庭を形成すること」など、家族形成への意識が向く傾向がある。そのため女性が結婚を機に仕事を変えるなどの行動が見られるのだろう。男性から強いられることなく、自発的に「結婚か仕事か」といった二者択一的な意識が潜在的にある事は否めない。これは第一部でもあるように、男性は経済面を担当し、女性は家庭面を担当するという意識があることを捕捉している。これからは、「結婚か仕事か」の二者択一ではない働き方ができる仕組みを企業文化に組み込むべきであると思った。

 

【学生による文献紹介】

大田美和『世界の果てまでも』(2020 北冬舎)

コミュニケーション専攻・4年

本書は近代イギリス小説、ジェンダー論を専門とし、中央大学文学部英文学教授でもあり、歌人でもある大田美和の「思考」の記録である。本の帯の言葉には、「『思考』とは私の目に映る世界と現実を『試行/エッセイ』する軌跡である。」とある。そのように、短歌の師である近藤芳美と韓国出身の作曲家尹伊桑をつなぎあわせる研究の中にあった、アジア各国での様々な出会いの中で、短歌を軸にスキャンダル・時代・フェミニズムなどを取り入れた考察の中で、ケンブリッジ大学での学生生活体験やヨーロッパ出身作家の作品との対話の中で、アート・詩集・映画といったあらゆる表現と向き合う中で、日々の日常の中で…様々な場面での著者の「思考」の跡がうかがえる。1人として同じ人間がいないように、考え方や受け取り方も人によって異なる。著者である大田美和の「思考」に共感したり、ハッとしたり、自分とは異なる意見だと思ったり、読者1人1人の「思考」を刺激するそんな1冊である。

多くの思考の跡の中で、著者が両姓併記のパスポート獲得を目指す『両姓併記パスポート獲得記』をとり上げたいと思う。私自身、夫婦別姓がニュースなどで度々取り上げられていることは知っていたが、特に気に留めたことがなかった。というのも、自分自身の中に「結婚したら苗字が変わることは当たり前だ」という考えが染みついてしまっていて夫婦同姓に何の疑問も抱いていなかったからだ。以前、母親に「結婚したら苗字が変わった時にハンコ変えたりするのは不便だから、ハンコは下の名前で作っておくね」と言われ、特に抵抗もしなかった私が、持っている唯一のハンコは名前で彫られたハンコである。そのため、初めは著者が戸籍名ではなく、通称である旧姓を使用することにこだわるのか不思議であり、違和感すら抱いた。しかし読み進めていくうちに自分の気に入っている旧姓が、結婚により使えない悲しみや、著者の同僚が戸籍名で新聞の「投書欄」に投書したところ、夫が上司から責された話など夫婦両姓を巡る多くの意見があることが分かった。次第に、結婚したらどうして女性は今まで大事にしてきた苗字を「捨てる」選択肢しかないのだろう、という疑問がわいた。思い返せば、意気揚々と私の「名前」彫りのハンコを作った母は旧姓の方が気に入っている。矛盾…。ほんの数ページで意見を翻した私は、すっかり著者のペースに巻き込まれ、著者がパスポートセンターに乗り込む際には「いけいけ!頑張れ!」と人生の大先輩に偉そうにエールを送っていた。著者が両姓パスポートを獲得できたかどうかは、是非皆さんの目で確かめてほしい。私はもっと夫婦別姓について調べてみたい、と思うそんなきっかけとなる1冊であった。

 

【学生による文献紹介】

瀬地山 角『炎上CMでよみとくジェンダー論』(2020 光文社)

T.K

概要

広告とは、ターゲットとなる人々を決め、その集団に訴えかけるためのものである。インターネットやテレビが普及した今日では、限られた人々にのみメッセージを届けることは不可能である。ターゲットではない人々の目に広告が触れることで、制作者が意図していないメッセージを人々が受け取ってしまい炎上するケース、そして時にはターゲットの人々にさえ、メッセージがうまく伝わらず、炎上してしまうケースもある。

本書では、実例として、働きながら子育てする女性を応援したつもりが、男性の育児の描写の少なさに批判が殺到した味の素の例、キレイになりたい女性を応援したはずが「女性はどんなに忙しくても綺麗でなければならない」というプレッシャーを押し付けたルミネや資生堂の例、三重県志摩市と「碧志摩メグ」、NHKと「キズナアイ」のように、公共性の高い団体が男性ウケしそうな女性キャラクターを起用した例などを取り上げている。炎上した宣伝と、ターゲットやメッセージは似ているのに炎上しなかった宣伝とを比較しながら、四つの象限に分類し、読み解いていく。

感想

様々な事例が数多く登場するが、印象に残ったのは、ソフトバンクの「白戸家」のCMについてである。ご存じの方も多いとは思うが、「白戸家の人々」シリーズで登場する家族は、母と娘は「ふつう」で、お兄ちゃんはアフリカンアメリカン、父親はなんと犬である。

お父さん(犬)は、いわゆる日本の「ガンコ親父」だが、妻や娘に強い口調で文句を言っても、犬がきゃんきゃん吠えているようにしかみえず、家庭内で男性が女性の上に立つという構造があたりまえではなくなったことを面白おかしく描いている。「白戸家」のCMは、私も何となく好きだと感じていたのだが、面白い、犬がかわいいなと思うだけで、ジェンダーという観点でみたことはなかった。しかし、今回、ジェンダーの視点から眺めることにより、「白戸家」の面白さをより一層理解することができた気がする。

「キズナアイ」のように男性ウケしそうなキャラを起用して炎上する例は出てきたが、女性ウケしそうなキャラクターを宣伝のために起用し、炎上した例については述べられていなかった。そして、女性の性別役割を強調すると炎上してしまう一方で、男性の性別役割を強調してもあまり炎上せず、「自虐ネタで済む」と筆者も述べている。このことから、炎上CMの世界では、女性と男性の間で不思議な性差が存在するのかもしれない。

「チコちゃんに叱られる!」など、最近ヒットしたキャラクターも登場する。紹介した例のほかにも、数多くのCMが出てくるので、ぜひ本書を読んで視野を広げてほしい。

 

【学生による文献紹介】

北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』(2019書肆侃侃房) を読んで

言語科学専攻4年

【概要】

この本は、ジェンダー論という視点から、文学作品を批評するというものである。その批評対象は、シェイクスピアの『十二夜』をはじめとする古典作品から『アナと雪の女王』といった現代映画までと幅広い。

作者は、批評について、作品を純粋に楽しむことに物足りなくなったときに、もう一歩踏み込んで深く理解し、さらに作品や作者に興味を持つことであると述べている。また、作品に何かひとつ切り口を見つける作品全体をあるキーワードで解釈できるようになれば、興味深く思えてくるとも記している。さらに、独創的な批評をするためには、今まで自分が檻に入っていたことを認識し、ブチ壊さねばならないが、これを破ることができる道具こそフェミニスト批評だと、筆者は訴えている。

この本では、「欲望」「男らしさ」「ヒロイン」「歴史における女性の描き方」「ユートピアとディストピア」という6つのテーマで章立てされている。

そして、何とも惹きつけられるのは、この本のタイトルではないか。イギリスの古い童謡「男の子って何でできてるの?」の歌詞にある、「女の子って何でできているの?お砂糖とスパイスとあらゆる素敵なもので」という一節が由来である。作者は、女性が別に素敵である必要はないのではないかという想いをこめ、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』というタイトルをつけたそうだ。この本を読み終えたとき、「爆発的な何か」という表現の真意が分かる1冊である。

【感想】

私はこの本から学んだことが2つある。

ひとつ目に、人間の性格やジェンダーに対する考え方には普遍性もあることが分かった。ジェンダーに対する価値観に違いがあるという固定観念から、古典作品を読むことにためらいがあったが、この考えは杞憂であった。シェイクスピアの『十二夜』に登場するオリヴィアがツンデレ的キャラクターであり、現代に通ずるものを感じた。また、LGBTQIA+といった多様な性については最近活発になったものだと考えていたが、オスカー・ワイルド『サロメ』を知ることで、人類が長きに渡って向き合ってきたことだと知ることができた。

二つ目に、多様な視点や立場から女性について考えることができた。この作品は、フェミニスト批評であるが、女性だけでなく男性、とりわけ男性の中でもマイノリティであるおっさんにフォーカスしている。このおじさんが『二十日鼠と人間』や『ワーニャ伯父さん』といった約100年前の作品に登場することが大変面白かった。

最後に、この本のタイトルになっている「爆発的な何か」について、白黒つけられない、ことばでは言い表せない、女性が持っている魅力や力を示しているのではないかと考えた。

 

【学生による文献紹介】

押山美知子『少女マンガ ジェンダー表象論』(2018 アルファベータブックス)

国際社会学科1年

本書は、「リボンの騎士」「ベルサイユのばら」「少女革命ウテナ」などの少女漫画を通して、日本の少女漫画において、ジェンダーはどのように描写され、変容していったのかを「男装の少女」というヒロイン像を切り口として分析した一冊である。

一言で言えば、素晴らしい本だった。目の付け所の確かさと圧倒的な情報量、そして説得力に思わず引き込まれてしまう。人物の容姿に代表される絵画表現、登場人物のひとつひとつの言動、さらには物語の外に及び作者や編集部の意図、読者の感想など、様々な部分において人々のジェンダー観が反映されていることをひしひしと思い知らされた。

特に、分析の細かさ・鋭さには思わず舌を巻く。まつ毛の量、目の形、瞳のハイライト、髪、体形、といった人物の造形や、背景や効果(光、花など)、衣装やそれらに使われる色を漏らすところなく徹底的に分析し、「男女の差はどういう風に具現化され、表現されているのか」という事を踏まえた上で「女性主人公の性別越境はどのように表現されているのか」という事を導き出している。

この本の分析の中で特に重要なのは、タイトルにもある「男装の少女」というワードからも分かる通り、「性別越境」の部分だ。女性でありながら男性の格好をする、という特殊な状況が、マンガではどう表現されているのか。それが主題である。個人的には、「主人公は男性キャラクターと共にいる時は女性性が強調され、女性キャラクターと共にいる時は男性性が強調される」という分析が非常に興味深かった。ジェンダーは、相対化によって強調・表現されるものである、という分析をしている。「性別とは、ジェンダーとは何か」を深く考えさせられ、今後の勉強・研究の視野が広がったと感じた。

緻密な分析がなされ、的確な指摘と巧みな構成によってそれらが表現されている。ジェンダーについて学ぶ上で、非常に参考になる一冊であると共に、純粋に読書・学問の面白みを与えてくれると思う。小さい頃から様々なマンガに慣れ親しんできた私にとって、この本で取り上げられている作品はどれも見知ったものばかりであったが、この本によって、今まで気づかなかった新たな側面を発見することができた。新たな側面を発見することは学問の面白みのひとつであるように思うが、この本には、まさしくその「学問の面白み」を感じるのである。

 

【学生による文献紹介】

一橋大学社会学部佐藤文香ゼミ生一同(佐藤文香監修)『ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた:あなたがあなたらしくいられるための29問』 (2019 明石書店)

国際社会学科4年

  本書はジェンダーをめぐる様々な問題について大学生が行った討論を基に、ホップ・ステップ・ジャンプという三段階に理解度を分けて解説が述べられている。

一般的に混同しやすいジェンダーとフェミニズムの定義であるが、本書ではジェンダー =ある性別を特定の役割に結び付けたり、男/女だから○○すべきと考えること、ある行動の原因をその人の性別に求めたりするような考え方であるとし、フェミニズム=男女同権と性差別のない社会を目指し、女性の社会的・政治的・経済地位の向上と性差別の払拭を主張するものとしている。

第一章ではジェンダーに関する素朴な疑問を中心とし、第二章では LGBT などのセクシュアル・マイノリティについて、第三章ではフェミニズムについて、第四章では社会での男性に対する差別(逆差別)について、そして第五章では性暴力について述べられている。   私が最も共感したのは第一章で述べられた「女子校」についてである。女子校ではセクシズムを経験しにくく、ジェンダートラックが形成されにくいと本書で述べられていた。私自身、高校・大学と女子校に通っていたため、その点では大いに共感できる部分があった。確かに女子校には男子の存在が無いことによる不公平さや男女による優劣を感じることはほとんどない。しかし、進路を決定する際には無意識のうちに家族の意向を気にする人が多く、社会で羽ばたく存在になることを目指す「エリート型」が一定数いる一方で、「良妻賢母型」の子も多いように感じた。私が通っていた学校は、小学校から高校までの一貫校で、自立した女性を育てることを理念に掲げていた学校であった。「エリート型」タイプの生徒が多いように感じたが、反対に学校として「良妻賢母」を強調してしまうと性別役割が再生産されてしまうことになると感じた。また、「エリート型」と「良妻賢母型」で二分化することについては、親から子どもへの影響も大きい。女子校では親の意向ではなく、本人が望む教育を受けられることが大切であり、個人の成績や意志に沿った進路選択ができる機会が提供されることが必要であると感じた。

私は本書を読んで「社会における女性本来の在り方」を学んだ。2019年の調査によると、共働き世帯は1245万世帯であるのに対し、専業主婦と雇用者からなる世帯は575万帯と約2倍であることが明らかになった(瀬地山 2020)。この数字から、「女性は家に入り家庭を守る」という性別役割分業は減少し、日本社会の在り方も着実に変化していると言えるだろう。過去の考え方に固執し、制度の変革などを行わない企業や人もまだまだ多く存在すると思うが、性別役割分業に縛られることなく一人一人が自由に生きられる未来が一刻も早く来ることを願っている。私自身も、「自分の未来は自分で掴む」という気持ちを強く持って生きていきたい。

引用文献 瀬地山角, 2020『炎上CMでよみとくジェンダー論』光文社.

 

【学生による文献紹介】

グレイソン・ペリー(小磯洋光訳)『男らしさの終焉』(2019 フィルムアート社)

                                                                                                                                                                              国際関係専攻4年

最初に、デフォルトマンの定義づけから本書は始まる。デフォルトマンとは、「白人」・「ミドルクラス」・「ヘテロセクシャル」という3つの要素を持った男性を指す。このように、デフォルトマンの定義である3つの要素を備え持っている男性は、今日のイギリスでは理想的な存在として考えられている。男性として生まれた場合、このような理想的な存在であるデフォルトマンに基づき育てられ、社会で評価される。そのため、育てられた本人はデフォルトマンに対して何の疑問も抱かない。

しかし、このような普遍的な考えこそが男性を苦しめる原因となっている。なお厄介なのが、自分が成長過程でデフォルトマンとは違う要素を持っているということに気づいた時だ。違う要素の例として挙げられているのが、女性であること・ゲイであること・愚かであること・黒人であることなどだ。これらは、人が持っていて何一つとしておかしい要素ではないが、デフォルトマンの理想とは異なるため自己嫌悪に陥ってしまう可能性を指摘している。

デフォルトマンは、社会に「普通」のフリをして根付いてしまったため、取り除くことが難しいと前置きされている。そのうえで、途中で男性に対して「自分のために腰を下ろせ」という話が出てくる。これは、デフォルトマンという服を身にまとっていても、実際に利益を得ている男性はほんの一部にしか過ぎない。そのため男性は腰を下ろすことによって、今以上に生きるのが楽になるのは間違いないという主張である。そして男性も今までのステレオタイプは捨て、弱い部分を含めたありのままの自分をさらけ出していくことこそが、新たな社会に繋がると述べている。

感想

今日、女性の社会進出が謳われている。そのため、社会に出てバリバリ働き自分の役割を持つ女性が増えてきた。その姿を見て、「女の人なのにすごい。」と感想を持つ人が多いように感じる。これは、女性がこのような社会になるように望み、働きかけを行なってきた結果であり、本当に誇るべきことだ。しかし一方の男性に目を向けて見てみると、女性とは違い、元々社会で働いている存在であった。このように男性という「性別」で生まれてきたというだけで、気づかぬうちに社会的枠組みに当てはめられてしまう。そのため、男性の未来に対しての議論が巻き起こることは少なかった。女性に焦点が当てられがちな現在、この本を読むことにより、男性も社会に苦しめられていることを理解する必要がある。

最後のページに、男性の権利として次のようなことが書かれている。「傷ついていい権利」「弱くなる権利」「間違える権利」「直感で動く権利」「わからないといえる権利」「気まぐれでいい権利」「柔軟でいる権利」「これらを恥ずかしがらない権利」。これは、男性に限らずどの性別にも言えることだ。多様性を認め、お互いに尊重しながら共存していくことが最も重要なことだと思う。

 

【学生による文献紹介】

チョ・ナムジュ(斎藤真理子訳)『82年生まれ、キム・ジヨン』(2016 筑摩書房)

                                                                                                                                                                           国際関係専攻4年

この本は、主人公であるキム・ジヨン氏が精神科で話した人生の話を医師が聞き、その話の内容を書いたカルテをもとに進行していく。キム・ジヨン氏の家族構成は、キム・ジヨン氏、夫のチョン・デヒョン氏、子供のチョン・ジウォンちゃんの3人家族である。チョン・ジウォンちゃんが産まれると、面倒を見なければならないためキム・ジヨン氏が仕事を退職した。納得して退職したのではなく、世間体的な理由とチョン・デヒョン氏の方が、稼ぎが多かったからという理由である。そのため、キム・ジヨン氏が1人で家事・育児の両方を行なっていた。するとある日、キム・ジヨン氏におかしな行動が見られた。そのおかしな行動とは、キム・ジヨン氏が他人に憑依したようにその人の口癖を真似して話すというものだった。またこの行動だけでは納まらず、その後もおかしな行動が続いた。それを心配したチョン・デヒョン氏は、精神科へ出向いて医師に相談した。医師にカウンセリングを受けるよう提案されたため、キム・ジヨン氏はカウンセリングを受けることになった。ここからキム・ジヨン氏の人生を5つの時代に区分し、物語が展開されていく。どの時代においても、女性であるがゆえ感じる憤りや違和感が描かれている。最後に、医師の妻の話が出てくる。医師の妻も、状況は違うがキム・ジヨン氏と同じような体験をしている。キム・ジヨン氏に、カウンセリングを受けることを勧めた医師でさえも、1番身近な自分の妻への理解が乏しい。これは今の社会の現状をうまく捉えている。

感想

この本では、女性であるから味わった大きな事件から日常の小さな事件まで、様々な事件が書かれている。中でも、印象的であった事件がある。キム・ジヨン氏が、バスの中で痴漢にあった事件だ。この事件の時、キム・ジヨン氏は結果的に2人に助けを求めた。1人目は、一緒のバスに乗っていた女性だ。この女性は、キム・ジヨン氏が直接声を出して助けを求めたわけではなく、異変に自ら気づき電話を貸してくれ、自分の最寄りではないバス停で一緒に降りてくれた。この一連の行動から分かることは、彼女自身も似たような体験をしてきたからこそ、今何をしてほしいかという気持ちを汲み取って行動できたということだ。2人目は、キム・ジヨン氏の父親である。女性にキム・ジヨン氏は電話を貸り、「ジヨンです バス停まで迎えに来て お願い。」と父親にメールを送った。父親はバス停まで迎えに来てくれたものの、事件に遭ったのはキム・ジヨン氏に非があったからだとひどく叱った。このように、1つの事件を通して男女の価値観の違いが見られる。この男女の価値観の違いは、韓国社会だけでなく今の日本の社会にも同じことが言える。しかし、世間的には名ばかりの女性進出が言われているため、おかしいことをおかしいと声に出して言えるような状況ではない。だからこそ、様々な人がまずこの1冊を読み自分とは違う立場の理解に努めるべきだと思う。

 

藤原一枝『さらわれた赤ちゃん - 児童虐待冤罪被害者たちが再び我が子を抱けるまで』(2019幻冬舎)

「揺さぶられっ子症候群」。この医学診断に科学的根拠があるのか。突然子どもから引き離された若い母親たちの深い悲しみが全ページに漂う。加害者とされる親たちの聞き取りやカルテ・医学意見書などから冤罪を訴える、小児脳神経外科の女性医師による渾身の1冊。

 

落合恵子 『21世紀家族へー家族の戦後体制の見かた・超え方[第四版]』(2019有斐閣)

「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業を前提とした「家族」のかたちが、戦前から現代までの歴史の中でいかにして形成されたかを読み解くことができる1冊です。写真や図表も多く、読みやすい本です。

 

筒井淳也 『仕事と家族ー日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか』(2015中央公論新社)

女性活躍が求められる時代となっても、なぜ日本では女性が活躍しづらく、出産と仕事の二択となるのか。アメリカやスウェーデン、ドイツとの国際比較をしながら、仕事と家族の関係について解き明かしてくれる1冊。

 

佐藤博樹・石田浩編『出会いと結婚』(2019勁草書房)

東京大学社会科学研究所が実施したパネル(追跡)調査の実証的分析に基づいた本。未婚化・少子化という課題に対して、家族形成と格差に着目し、政策・研究への発展的可能性を与えてくれる貴重な1冊。学生の皆さんの分析方法の勉強にもなります。

 

有賀美和子『現代フェミニズム理論の地平』(2000新曜社)

女性学研究所専任教員であった故有賀美和子氏が、本研究所で仕事をするなかで直面した、「女性学とは何か?」という問いかけ。そして実感した、適切な回答をしめすことの重要さと難しさ。
この「女性学とは何か?」という問いに対して、多様な「現代フェミニズム理論」の時系列・理論構造といった女性学の見取り図をわかりやすく呈示することで、問いに答えようと試みた一冊。

 

有賀美和子『フェミニズム正義論』(2011勁草書房)

人は皆、ケアを必要とする存在である。リベラリズムの普遍主義を問い直し、依存する他者に対し、柔軟に応じうる規範理論を構想する。「フェミニズム正義論」がめざす究極の目的は、従来のジェンダー規範や性別役割分業に縛られない自立的な男女の個々人を、それぞれの”多様な善の特殊構想”を追求する存在として、ひとしく尊重することにある。

 

結婚の比較文化

東京女子大学女性学研究所小檜山ルイ・北條文緒 編『結婚の比較文化』(2001勁草書房 )

様々な国(仏・英・米・日・韓・中)や時代の結婚を統計を基に紹介している。抽象的で未熟な若い女性たちの結婚観をゆさぶり、ジェンダー問題への糸口を提起する1冊。

 

 

親子関係のゆくえ東京女子大学女性学研究所有賀美和子・篠目清美 編『親子関係のゆくえ』(2004勁草書房) 

従来の性別役割分業にとらわれることなく、男性も女性も育児と仕事をそれぞれ担うことが、現在の生き難さからの開放につながる。

 

 

女性と美の比較文化東京女子大学女性学研究所・鳥越成代 編『女性と美の比較文化』(2008勁草書房)

「美」とは何か。
哲学、文化人類学、美術、舞踊、メディア論、健康・運動科学などのさまざまな視点から、多角的に考察する。

 

女性とライフキャリア東京女子大学女性学研究所・矢澤澄子・岡村清子 編『女性とライフキャリア』(2009勁草書房)

仕事中心のキャリアデザインから
人生中心のキャアデザインへ。
女性のライフコースと関連させつつ、多角的・総合的に検討する。

 

メディアとジェンダー東京女子大学女性学研究所・国広陽子 編『メディアとジェンダー』(2012勁草書房)

メディアは女性の味方なのか。
いちじるしく多様化し発展するメディア状況とジェンダーの今日的関係を多角的に描き出す。